管仲の下巻を読み終わった。後半やや急ぎ足だったのがやはり残念だったが(エピソード紹介的になっていた)、いろいろと学ぶことがあった。
- 人の器の大きさとは何か?
- 経営は口ではなく耳でやるものではないか?
- 組織を作るのは策ではなくて法ではないのか?
自分が悩んでいるところにいちいち引き寄せて読むようにしているのでどうしても経営系の気づきが多い。
気に入ったところをいくつか
倉廩実ちて礼節を知り、衣食足りて栄辱を知る。
やはりこの目線の低さである。現場の気持ちというか。(強兵の前に富国でしょ という話でもあるけど。
人には超えられないものがあると見切ったものだけが一転して発揮できる恐るべきリアリズム(解説より)
制度と法によって人民を守ろうとする、人に対する感覚がよく出ている。
管仲の舅「死んではならぬということです。召忽どのは、人のために生きるということが、おわかりにならなかった。おなじように生きていても、死ぬために生きている人と、生きるために生きている人がいる。死んでも生き続けるような人から、はじめて国家と人民のための大計が生まれる。」
(中略)
生きようとして生きられぬ人があるように、死のうとして死ねぬ人もいる。人つくった道義にあてはめることのできない生き方もあるのである。天によって生かされた人は、天によって殺される。そう思えば、おのれの生に執着しなくてすむ。名誉や恥辱、尊大や卑小などといった生の相貌を気にかけなくてもよい。
とにもかくにも、個人としての生への執着ということと、組織のいろいろな角度からの見え方を学ぶことができた。
また、この先数年以内に、自分の存在を揺るがすような大きな困難があるのではないか、それを超えて初めてわかることもあるのではないか? と感じた。